2015.鱒の森No27掲載
秋も終わりに近づいたこの日、僕らは突然の大雨に満足な釣りもできず早々と山を下りた。日没と同時にラム肉を頬張り、おきまりの二次会は、マスターの適当なお喋りと洋楽が心地いい僕のお気に入りのお店で、ビールを片手に過去の思い出話に花を咲かせる。
本来ならば爆釣の予定だった。
この日のために、一等地にはいっさい手を付けずそっと寝かせておいたその川は、濃密なヒグマの生息域でもあり険しい斜面を下るので滅多に釣り人は入らない。先週の調査時には別の友人とたった1時間ほどの間で「パラダイスではないか」と思えるほどの釣果をあげていた。
ポイントに行けば確定的だった60cmクラス連発の計画は、この雨にいとも簡単に流されてしまい、湧水の細流に入り30分ほど竿を出して「釣りに行った」という記録だけを残すのが精一杯。
雨天はヒグマも怖いので、この短い時間が友人とは年内最後の釣りになった。
あれこれ語りながら、酔いがまわって気持ちよくなった頃に、ふと僕の頭に映像が蘇った。
あのさ、一昨年のアレ、ヤバかったよね……。
「え?何が?」
……カツアゲ。
「あー、あれは見てて冷や汗かいたよ!あんな思いは絶対に嫌だ。最悪のカツアゲだよ。」
金貸してくれない?
チョッとジャンプしてみろ。
そのゲーム貸してくれよ、永遠に!
今でこそ、こんな光景を目にすることはまれだけれど、
僕らが学生の頃は、まだこんな理不尽で非人間的な行為が行われていて、
当時の漫画やアニメでもこんなシーンの描写は珍しくなかった。
こっちだって大切な財産なのだから、ある程度までの相手ならば当然抗う。
けれど、力の差が歴然と見てとれる猛者が相手となれば、弱き者はただただ歯を食いしばり言いなりになるか、怪我なく帰れるのならそれでOKと割り切って、その場をやり過ごすしかないのだ……。
もう、さすがにこんなことを一生目撃することはないと思っていた僕ら中年2人組は、一昨年に最悪のカツアゲ現場を目撃したのである。
場所は路地裏でもクラブでもなく、世界自然遺産の知床半島。
あの日は知床初体験の友人らを案内したくて、釣り仲間の漁師に頼んで、船で半島の先を目指していた。
しかし、ポイント前に到着したというのに船長が不思議と僕らの上陸を許さない。岸では7~8名の釣り人が、海で釣れたカラフトマスをいったん沢の流れにキープしているようすがうかがえた。
「なんで上がらないの?」と聞く僕に、
「ん~、なんか嫌な感じするから待って」と船長。
その数分後、イタドリの生い茂る籔の中から現われたのは親子連れのヒグマだった。
「やっぱりいた……あれヤバイわ。」
漁師の勘に感心したのも束の間、僕らは彼の言う「ヤバさ」をすぐに理解した。
現われた親子グマは、そのまま躊躇することなく釣り人に向かって歩いている。
その距離は200mほど。トコトコと釣り人に向かって先行する子グマの後ろを、よそ見をしながら母グマがノシノシと歩いていく。
「お~い!クマだぞ!」
と船長が声をかけると同時に、沖で待機していた渡しの船がエンジンを掛け、急いで釣人たちを迎えにいった。釣り人たちも左手から来るヒグマに気付き、慌てて船に乗り込んだ。
ギリギリだったように僕らには見えた。
すると親子グマは船に避難した釣り人はそっち除けで、沢に残されたカラフトマスを我が物顔で食べ始めたのだ。
ストリンガーに繋がれていたもの、ビニール袋に入れられていたもの。いずれも親子グマの朝の食事になった。
避難した釣人たちは渡船の上からその食事を10分くらい眺めていたのだけれど、「どうすんだ?無理だべ?」という
こちらの船長の声に手をあげて応えると、渡しの船頭に従って仕方なく港に戻っていった。
僕らはというと、ヒグマたちが立ち去るまでずっと彼らのようすを観察していた。
船長の説明では、あの親子グマは自分たちが姿を現せば釣り人が慌てて避難するのを理解しているズル賢い熊で、
釣り人を脅し、置いていったマスを労なく横取りすることを繰り返しているそうだ。
力の差は歴然。
言葉も通じないから言いわけも通用しないし、慈悲の心など持ち合わせていない。
警察もいなければ、携帯も繋がらない大自然の中で出会った日本最強のカツアゲ屋を前に僕らは船上で苦笑いするしかなかったのであった。
結局、そこからしばらく船を走らせたエリアで僕らは至福のファイトを楽しめたのだけれど、背後の籔が気になり、4人が付かず離れずの距離を保ったままだったことは言うまでもない。
「あのカツアゲ屋だったら、おれ、街の不良のほうが100倍いいな。なんか勝てる気がしてきたよ。」
「…いや、もうそういう歳じゃないから、大丈夫だと思うよ」
大して釣果のない1日だったけれど、楽しく夜は更けていったのである。